Interview
「好き」に正直な道を進むエンジニア人生。
常に新しい技術に関心を持ち自分のものにする
マイコンシステム系 生涯プロエンジニア(R)

エンジニア略歴
- 1990年メイテック入社
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1990年~移動体通信機器のソフトウェア設計
音響システムエディターの開発 - 1991年~垂直搬送装置のシステム開発
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1993年~筆耕システムの開発
腰下洗浄装置のシステム開発 - 1995年~販売・生産管理システムの導入・カスタマイズ
- 1997年メイテック再入社
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1997年~塗付ロボット制御システムの開発
自動車用トランスミッション制御システムの開発 - 2006年~エンジンコントロールユニットの自己診断ソフト開発
- 2007年~社内教育システムの運営
- 2008年~エンジンコントロールユニットのプラットフォームソフト開発
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2009年~エンジンコントロールユニットの通信ソフト開発
エンジンコントロールユニットの故障検出、診断機能ソフトの開発 - 2016年~自動車用トランスミッション制御システムの開発
- 2021年~小型eモビリティ(電気自動車、電動車椅子)の開発
- 2023年定年到達
自動車整備士から
ソフトウェアエンジニアへ
学生時代はメカ的なものが好きで、工業高校で勉強するかたわら、50ccの原付バイクを自分で88ccにボアアップするなどの改造をしてました。そのまま就職先は自動車整備士を選択。1980年頃のことですが、高校が電子工学科であったこともあり、コンピューターにも興味があり、転職情報誌を頼りにコンピューターシステムの会社に転職しました。
その会社では、最初基盤の修理とかを行うのがメインの業務でしたが、徐々に簡単な電子回路のハード設計をするようになりました。回路の動作確認には評価用ソフトが必要ですが、ソフト部門に頼んでもなかなかつくってもらえなかったので、「それなら」と自分で評価用のソフトをつくってみました。それが面白く、自分はソフトの道に進みたいと思うようになりました。
社内で希望を出し、ハードからソフトの部門に異動。3年ほどして、大手会社のPOSシステムの開発をしました。そのとき、メイテックのエンジニアの方も同じ会社に派遣されていて、その方と一緒に仕事をしていました。その縁で紹介を受けて、メイテックに入社したのが1990年のことです。
メイテックからお話をもらったとき、処遇も良く会社の規模も大きいので、私が普通に門を叩いたらなかなか入れるような会社ではないと思ったのが、最初の印象です。いろいろな企業に派遣されて働くというスタイルにも魅力を感じました。
メイテックに入社して最初に携わったのは移動体通信機器の開発で大変忙しく、徹夜に近い仕事も多くありました。特殊用途のため、機器を設置する現場に泊まり込んで評価を行うこともありました。昔の機器はソフトとハード一体化で開発をするのが多かったので、元々ハード開発を行っていた自分の経験が生きた仕事でした。
開発を続けるため一度退職するも
再びメイテックに入社

その後は、数社のお客さま先で1~2年の比較的短期間、ソフトの開発を行いました。倉庫向けの垂直搬送装置の開発では、使うマイコンの選定に始まり、開発全体の統括も担当しました。試作機がうまく動かなかったときは、私も部品を削るなどして組み立てを手伝うこともあり、自動車整備士の経験が役に立ったと思います。この装置が完成したときは特許も取得して、私も名前だけですが載せていただきました。
次のお客さま先では、結婚式の掲示板や行灯、席札などに独特な文字で印字する「筆耕システム」のソフトを開発しました。その後、このシステムを開発している会社が、取引先である結婚式場の販売管理システムを手掛けることになり、私はそちらの開発にも加わりました。
ところが1995年、バブル崩壊の影響で、メイテックはこのお客さまとの取引を終了することを決めます。しかし、この販売管理システムの開発は、まだ続いていました。私は乗りかけた船から降りたくないという思いから、メイテックを辞めて、お客さま先に転職する決断をしました。
仕事優先でメイテックを辞めて開発に専念したのですが、2年ほどで開発は完了し、私は経営企画部門で管理業務をすることに。そこへ、当時のメイテック神戸ECのセンター長が営業として来社、私が窓口として対応したのですが、センター長が私のことを覚えていてくださり、「宮口くんじゃないか」ということで話が弾み、最後に「戻ってこないか?」と誘われました。
私としては、できれば開発の仕事に復帰したいと思っていました。その会社の社長も理解を示してくれたことで、1997年に再びメイテックに戻りました。このタイミングでセンター長と再会できていなかったら、別の会社に転職していただろうと思います。
念願の自動車関連メーカーで
新しい技術に次々と触れる
メイテックに戻って配属された、自動車の電装機器メーカーが、現在もお世話になっているお客さまになります。今では日本の自動車を中心に広く使用されている「CVT(無段変速機)」を新規に開発するプロジェクトに参加し、制御ソフトの開発を担当しました。若い頃から自動車やバイクにはとびきり興味があり、プライベートでも相当チューニングした車に乗っていました。その意味では、まさにやりたい仕事にたどり着いたと思いました。
CVTという機構は、直径が変化する二つのプーリーの間を金属のベルトでつなぐことでエンジンの力を車輪に効率よく伝えます。車の加速、減速に合わせてベルトを挟み込みながら、回転するプーリーの径を連続的に変化させるのはソフトの役割です。
当時まだ世の中にはなかったCVTという重要部品の機構開発は、自動車メーカーが進めており、開発の舞台は、自動車メーカーが持っている研究所でした。私たちソフト開発チームも、その研究所に出張してつくったソフトを1週間かけて評価し、また会社に戻って、1週間がかりでそれを手直しするという作業を繰り返しました。開発には8年以上の期間がかかったと思います。
ちょうど、コンピューターの進化が急速に進んでいた時代で、開発環境も劇的に変わっていきました。最初は8ビットのマイコンでしたが、それが16ビット、32ビットと進化していく中で、私自身の技術も成長できたと感じています。
常にアンテナは高く。
新技術へのチャレンジを続ける

CVT初号機の開発が終わり、次に自動車の故障診断装置(オン・ボード・ダイアグノーシス=OBD)のソフトを開発しました。やってみると、技術面だけでなく、車に関する法規制が各国によって異なることや、車の安全性は厳格な基準が定められていることを実感しました。
このお客さまでの業務は一旦終了したのですが、慰留を受けて再度業務をすることになりました。その際、車載ソフト開発用のプラットフォーム「AUTOSAR」に興味があったので、その仕事を希望しました。パソコンでいうところのOSのような重要なソフトです。これ以降は、通信制御のソフト、故障診断、トランスミッションなどを幅広く担当しました。
2021年からは、全く新しい分野である小型の電気自動車(eモビリティ)の開発を担当しています。これまでとは違いすべてのソフトを一つの部署で作ると言った感じで、まだ小さな部署ですがチャレンジしがいのある仕事です。
また、業務外の活動として、2014年頃からメイテックの社員向けに「MATLAB/Simulink」の研修テキストを作成しきました。モデルベース開発で必須ともいえるソフトの教材です。当時私も自分で勉強していましたが、実践的に使える教科書がメイテックにないと思い、PowerPointで手づくりしたのがきっかけです。現在、3種類の教材がメイテックの社内研修で使われています。今でもアップデートをしており、ライフワークのようになってきました。
好きなこと、新しいことに挑戦しないとワクワクできない性分なので、振り返れば良いエンジニア人生を送らせてもらいました。定年以降も、できるところまで仕事を続けていきたいと思っています。
(インタビュー日:2022年12月23日)