Loading

Interview

お客さまに喜ばれる提案力の原点には、
評価試験からサーバー管理まで
とにかく何でも取り組んできた
自分がいた。

電気・電子系エンジニア

川瀬 俊哉

エンジニア略歴

  • 2006年メイテックフィルダーズより、出向(その後、メイテックへ転籍)
  • 2006年~電子機器の基板設計
  • 2017年~ガンマ線検出装置の基礎開発・試作および評価

メイテックのグループ企業から
エンジニア人生をスタート。

エンジニアに「何がしたいか」を問う人は多い。だが、強い目標意識が逆に将来の幅を狭めるケースもある。今回は「目指す将来像を描けなかった」「だからこそ、何でもやってきた」、業務の周辺に関心の幅を広げながら「引き出し」を増やしてきた意欲旺盛なエンジニアを紹介する。

静岡県浜松市出身。福井県の工科大学の短期学部でコンピューターグラフィックを学んだ。

「大学の志望理由は、浜松を出たかったのと、友人が大学の入試を受けるので、とりあえず一緒に受けてみたから」

大学で習ったのはプログラムとデザインの基礎が中心、卒業研究はVisual Basicを使ったスライドショー。

「就職氷河期と言われた時代。何をしたらいいのか分からなかったので、逆に何でもできるように経験を積もうと思っていました」

就職活動の合同説明会でメイテックを知るも、名古屋の会社説明会にて四大卒以外は採用しないと断られ、諦めた。

「気持ちがなえましたが、半年間くらい趣味に時間を費やしていたら尻に火がつきました。そして採用試験を受けたのが、静岡市に工場があるおもちゃメーカーと、ジャパンアウトソーシング(以下、JO:現メイテックフィルダーズ)でした」

結果、JOに入社する。だが、その時点ではメイテックのグループ企業とは知らずにいた。

何もできない新人時代は
何でもやって「引き出し」を増やした。

「JOに入社して数年間は、機械的に指示を受けるだけの単純作業をこなすばかりでした」

最初の配属先は防犯センサー装置の試験検査。聞こえはいいが完成品のパッケージを開いて、決められた作業を行っては閉じるの繰り返しだった。

次の配属先では、強い口調の上司がいた。指導もあまりなく、厳しい言葉を受け続ける中で悔しさが出て、どの業務を誰に教わればいいか、周囲の優秀な人に自ら聞き込みを始めた。考えを相談し、発展させることを繰り返すうちに、業務での解決策を見つけるコツを学んだ。やがて、その姿や仕事ぶりを厳しかった上司からも認められるように。

インクジェットプリンターの試験検査にも関わった。要求に確実に取り組み、丁寧に報告しているうちに、初めての設計業務となる「制御プログラムの修正」の機会が得られた。

デジタルカメラの開発を担当したときには、電波試験を徹底的に学習し、ノイズに関してはお客さまから一目置かれるまでになる。単一の製品から入り、最終的には全モデルの電波試験に関わった。

そこでの契約が終了したときに、営業所長から「キャリアローテーション制度(※)」によるメイテックへの転籍を提案される。「かつて説明会へ足を運んだメイテックのエンジニアになること」に興味があり、新しい一歩を踏み出すことにした。

※当時のエンジニアのキャリアアップを図る一つの手段として、メイテックフィルダーズからメイテックへ転籍する制度

メイテックに転籍して知る
「言われた以上」の仕事は基本。

メイテックに転籍して最初の配属先は、音響機器や楽器のメーカー。民生機器の基板設計の仕事をすることになった。だが、そこで大きな壁にぶつかる。

「それまでは与えられた仕事で最善を尽くせばいいと考えていました。でも、メイテックのエンジニアとして認められるには、自ら仕事を創出し、提案するのが不可欠と痛感しました」

理由はメイテックの先輩社員の前任者にある。川瀬さんが担当した基板設計部門の業務フローとシステムを、ほとんど1人で立ち上げたような人で、川瀬さんもまた同等のパフォーマンスを期待された。

「期待通りの成果を出せず、契約は継続するものの、対価向上までの評価には結び付きません。そこで業務の周辺にあるお客さま全体の状況を見て、あれこれとできることを考え、提案する努力を始めてみました」

やがて、前任者が手掛けたシステムが古くなり、更新を任せてもらうことになった。言語やスクリプトを最新のものに置き換えた。基板設計をしながら、工場で作業員が使う基板検査装置のハード設定からソフトまでトータルで提案して、少しずつ評価を高めていった。

続いて、部門全体のCAD入れ替え作業を任された。操作性を考えてプログラムを組み、サーバーのリプレース作業を行い、そのままサーバー管理者に。最終的には設備にデータを送るシステムの流れまで構想し、プログラミングも行った。

結果、専門分野は電気系だが、MS、ITといった複数分野の業務をこなし、前任者同様、先方から「帰したくない」と言っていただけるほどの信頼を獲得。契約は11年間継続した。

常に疑問を持ちながら、
「引き出し」の数を増やしている。

川瀬さんが現在関わっているのは、静岡県内の医療機器メーカーでのガンマ線検出装置の開発・試作および評価業務。

「核医学検査にて使用する微量のガンマ線を半導体検出器で電気信号に変えて測定する装置の試作品。このお客さまには素材、光学関係で優れた人が多いのですが、電気のハードは外部に委託していることが多く、今後は内製化したいということもあり、できることから進めています」

4年前、配属されたときには電気系の知識を持ち合わせる人がほとんどいなかったため、パソコン購入と適切なCADシステム導入という何もないところからのスタートだった。試作評価を繰り返す中で、検査する装置も作成しながらカスタマイズ。市販品で評価できないものは自作しながら作業を進めた。全ての業務で要求を聞き取り、提案しながら、毎年「今年は、このテーマ」とプロジェクトが進行。現在は、やっと製品としての形が見え始めてきている。

「お客さまからは、ハードは全て任せると言われています。今まで自分が経験し、獲得してきた引き出しを開け閉めしながら、どんな提案ができるかを試行錯誤してきました」

今では提案することが当たり前。次々与えられる課題に対し、インターネットや文献で調べられることと、経験による引き出しの中身とをつなぎ合わせ、ゴールへたどり着く時間も短縮させつつ、価値ある提案に結実させてきた。

「飽きっぽくて同じことをしたくないので、現在の業務の後は、昔と同じく、何にでも取り組みたいです。新しい場所でも、周囲の状況と経験を結び付けてあれこれ提案していきたいですね」

業務と並行して今考えているのは、メイテックのエンジニアが「どんなスキルを持っているか」をマッピングしたデータベースを閲覧できるツール。

「メイテック社員のナレッジは素晴らしいですが、十分に共有されてはいない。そこで『この情報は誰に聞けばいいか』をシェアしたい。『答えるのが面倒、よく分からない』といって拒絶されるかもしれませんが、役立つと思うエンジニアには使っていただきたいし、何かのきっかけになると考えています」

常に業務に疑問を持ち、必要なものは何かを考え抜く川瀬さん。エンジニアのスキルとキャリアを広げる参考になる、良きロールモデルの1人であり続ける。

※当社社内報「SYORYU」:2022年冬発刊号に掲載した記事です

エンジニアインタビューをもっと見る