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Interview

好奇心を忘れず、設計から生産全体に 知識を広げ、16年間、常にお客さまに選ばれてきた。

機械系エンジニア

蜂須賀 直

エンジニア略歴

  • 1997年新卒入社
  • 1997年~業務用プリンター設計の補助業務
  • 1998年~ビデオカメラの設計・開発
  • 1999年~液晶ビューファインダーのモジュール設計
  • 2007年~インクジェットプリンターの機構設計
  • 2010年~医療用機器の設計・施策・評価
  • 2012年~高精度計測器の治工具機能設計

スーパーカーから始まって、
ものづくりへの好奇心を広げてきた。

技術に関して興味を持ったきっかけは、スーパーカーブームだったという。

「当時の子どもは皆『サーキットの狼』(※)にあこがれ、夢中になって車の話ばかりをしていました。
私も最初はデザインから興味を持ちましたが、だんだんメカニズムの面に関心が移っていきました」

エンジンはどうして動くのか? その力はどのようにタイヤに伝わるのか?
「ランボルギーニ・カウンタック」の後部の翼はなんのためにあるのか?
興味を持って考えて、理解すること自体が楽しくなり、大学の機械工学科に入学する。

「勉強はあまりしなかったですね。アルバイトばかりに明け暮れていました」

その経験がエンジニアとしてのその後の働き方を方向付けた。

「休みの間は地元の派遣会社に登録して、多種多様な仕事を経験していましたが、世の中には本当にいろいろな会社と仕事があることを知りました。学校を出ても、1つの会社や職場にとどまるのではなく、数多くの経験ができる就職をしたいと思うようになりました」

エンジニアとしてものづくりにかかわりながら、多種多様な職場も経験できる。
メイテックこそ希望にかなう会社。その存在を知り、迷わず第一志望にした。

(※)1975年から1979年にかけて「週刊少年ジャンプ」(集英社)に連載された漫画作品

壁にぶつかり、聞くことで
好奇心をスキルに変えてきた。

入社して、新入社員研修が終わり、翌月には最初の配属先が決まっていた。

「業務用のコピー機メーカーで設計・生産の間の補助的な業務に就きました」

設計部門から回ってくる図面に従い、生産部門のための組み立て図を作成するという仕事。その導入段階においては非常に困難を感じたと言う。

「ものをどのように製造するか、根本的に分かっていませんでした。図面の意味を知ることから始まりました」

役立ったのは「分からないことは、好奇心を持って知りたい」「壁に向かうことがむしろ楽しい」と感じる性分だった。

「分からないことは、聞く。知らずにはいられない。1年あまりの現場でしたが、ものづくりがどのようなプロセスで行われているか、理解でき、エンジニアとしての基礎を固めることができました」

そして、2番目のお客さま先では、さらに幅広く、設計から生産、さらには出荷に至るまで、ものづくりとビジネスの一連の流れにかかわることができた。

「家電メーカーのビデオカメラに、OEM供給するビューファインダーの開発から生産までにかかわっていく仕事。CRT(ブラウン管)を使った技術を持っていた企業が、液晶に切り替えるタイミングでかかわることになり、8年以上、失敗して叱られることも多かったですが、同時に多くを学ばせてもらいました」

納入先のメーカーの要望を聞き、図面に落とし、工場生産を軌道に乗せる。どうすればコストを抑え、歩留まり率を向上させるか。幅広い視野を持って動くことで、現在まで引き継がれるスキルの礎と交友関係を与えてくれた8年間だった。

好奇心を持ち続け、
リーマンショックも乗り越えた。

「子どものころ、プラモデルをつくっていたころから手先は器用だったんです」

そんな蜂須賀さんの"隠れた才能″が、活かされたこともある。

「今度は製品設計ではなく、研究所での所究開発でした。それ以前からインクジェットプリンターの分野では豊富な経験を持った企業で、その技術を業務用高性能プリンターに発展させるという目的の仕事になりました」

厚手のロール紙を送りながら、たわみやジャムを防ぎ、逆反りさせて「しなり」を取る。一連の流れを1台のモーターによりシステマチックに制御する。当然、機構は極めて複雑になる。

「単に図面上の動きだけではなく、実際に安定した動きを実現するためには、実機ベースで品質を保証する必要がありました。試作機をつくる。動かしてみて、あ、ここでジャムったら紙が取り出せないから窓をつくる……と、その場で切り取ってみる、まさに手づくりの世界で開発が続いていきました」

以前の職場が比較的小規模の企業で、自分1人で解決すべき場面が多かったのに比べ、チームの中で密接に連携を取り合う必要性を知った。このプロジェクトが進行している間には、リーマンショツクが起こったものの、当初の予定通り開発が終了するまで契約を継続いただけるという結果になった。

16年間「選ばれ」続け、さらに広がる好奇心。

リーマンショックを経ても、契約が途切れた期間はほとんどなく、短期ながらも、次々と新しい職場と仕事を経験した蜂須賀さん。医療機器メーカーの開発部門の仕事を任された。ここでも、自ら精密な試作品をつくり上げ、時には精肉店で豚の胃袋を買ってきてテストする……というような仕事を通して、複雑な法規制がある医療機器領域に関するセンスを得た。その後、再びプリンターの領域へ。今度は、工場設備の治工具機能設計を担当して、より製造現場に近い「ものづくり」に関する知識を深めた。

そして現在は、ナノメートル単位の計測器の製造企業で、開発から製造に至るトータルな工程改善の仕事を任されている。

「超精密な機器。その製造プロセスで歩留まり率の向上やコストダウンを実現するため、最適な製造方法を考えていきます。例えば、従来は手で持って加工していた部分を、治具を工夫することで自動化する……というような解決方法を考え、その治具の設計まで行っていきます」

研究開発から、工場での生産現場まで広範な分野での仕事を経験し、それぞれの場所で成果を出してきた蜂須賀さんでなくてはできない仕事。いろいろと経験してきた“ものづくり”が、今まさにつながっていると感じると言う。

「試行錯誤を繰り返し、不具合が起きても、逆にそれを楽しんでしまう。そんな取り組みの積み重ねが、気が付いたら大きなスキルに育っていた気がします」

入社後16年間、6社を経験する間、ほとんど契約が途切れた期間がなかったという、常にお客さまに「選ばれてきた」エンジニアである蜂須賀さん。とはいうものの年齢を経るごとに、1つの職場あたりの契約期間が以前よりも短くなっていることには、焦りも感じているという。今後は、現在のお客さま先で最大限の成果を出し、それと同時に新しいスキルや考え方を手に入れて、さらに「選ばれ続ける」エンジニアとしての新しい道を見いだそうとしている。


※当社社内報「SYORYU」:2013年春発刊号に掲載した記事です

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