Interview
重電から半導体へ
作業から先行技術へ
自然体で気張らず受け止めて
技術の枠を広げてきた
電気・電子系エンジニア
困ったときはまず喋る、コミュニケーションは量です
エンジニア略歴
- 2013年新卒入社
- 2013年~パワーコンディショナーの設計調整
- 2014年~パワーコンディショナーの解析検証
- 2015年~パワーコンディショナーの設計開発
- 2017年~パワーエレクトロニクス関連技術の研究開発
- 2020年~イメージセンサー用LSIのアナログ設計
あまりこだわったことがなかった。
就職も偶然決めた学生時代
メイテックには意欲を前に出す情熱的なエンジニアも少なくない。今回登場するのは、正反対のタイプ。「将来何になりたいとか何をしたいとか、一度も考えたことありません」と言う。淡々と目の前にある課題に向き合ってきた田内さんのクールな価値観を紹介する。
もともとは文系で、高校は商業科。系列の大学に推薦で入ろうと思っていたが、偶然訪れたオープンキャンパスで、その大学の学生が魅力的に見えなかったので、方向変更。理系大学の電気工学科に入学した。
「卒業研究は『NTAガラスの光・熱・電気特性に関する基礎調査』。太陽光発電に関わる材料研究です。でもあまり努力して学習した記憶もありません」
父は自営業で、兄も起業していたこともあり、会社に入らなくてはいけないという強迫観念は何一つなかった。大学の卒業生リストを見ると設備関係に入社している人が多く「夜勤は嫌だな」程度の認識。ある日インターネットでアニメを見ていたら偶然メイテックのバナーが出ていた。クリックしたら採用ページに飛び、こんな会社もあるのかと知ったのが始まり。
「バイトもいろいろ経験して、面接だけは自信がありました。メイテックの面接も中身はよく覚えていませんが、フランクに話していたら、内定が出ました。ほかに応募している会社もなかったので、ここにしようかなという感じでした」
重電分野で最初は製品出荷業務。
劣等感から基礎の勉強に力を入れた
入社して京都ECに配属。入社時の研修で受けた電気のテストの点数はあきれるほどに低かった。最初の配属先は太陽光発電関連に強い電気設備メーカー。仕事は設計ではなく製品出荷に関するものだった。
「パワーコンディショナーという電流を直流から交流に変換する設備機械。この会社では太陽光発電施設で使われる大型のものをつくっていました。最初の仕事は、生産現場で決められた通り検査を行う作業的な業務でした。同期の新入社員が開発や設計に関わっていると聞き、自分だけが出遅れている気もしました」
自分が関わっている機器が、どんな機能で、どんな用途かも教えてもらえず、成長感はなかった。少しでも技術を知りたいと、現場の上司に「回路を見せてほしい」と粘り強くお願いした。その上司は設計室に椅子を1つ用意して「定時後なら図面を見てもいいよ」と言ってくれた。一人暮らしの京都で家に帰ってやることもないので、少しずつ技術の勉強を始めていった。電子部品を買ってきて、ロジックICを利用した電子工作もやってみた。一桁同士の足し算ができる回路をつくりあげるまで数カ月かかったが、電気の基礎も少しずつ理解していった。
「そんな姿を見ていてくれたメイテックの先輩がいました。その人がお客さまに推薦してくれて設計の仕事に移ることができました。とはいうものの、補助の仕事がほとんどでした。すでに納入されていた機器の不具合の修正も増えていきました。現場に行き、現状を見て、どこが悪いのか、どのように対応すれば復旧できるかという経験から少しずつ、機器の構造についても理解が進んでいきました」
業務と勉強会の両面で
設計力を一気に伸ばす
次の配属先は、幅広い分野で産業向け制御機器やシステムを供給している電気機器メーカー。その研究所で次世代のための要素技術を追究していくという業務。AC/DCおよびDC/DCコンバータの領域を中心に毎年新しい課題が与えられ、チームで取り組んでいった。
「自分で回路を考える時間が増え、部品を自分で選び、プリント基板にするために外部との打ち合わせを行うなど、業務の幅も広がり、設計力も伸びたと思います」
最終的には、次世代型ホームエレクトロニクスで使われるコンバータのために、500件もの論文の調査を行い、アイデアを出し、テーマを決め、設計しシミュレーションするという一連の工程に総合的に関わっていくスキルを獲得していた。
もう一つ役に立ったのは、メイテックの社内研修に関わり始めたことだった。「京都ECひよっこ倶楽部」と命名された自主的な勉強会を先輩エンジニアと企画し資料作成、進行役を務めた。また、アドバンス研修の講師も務めた。
「研修講師は手当てが出るので、お金をもらって遊ぼう(笑)という不純な気持ちから始めたものでした。でも、分かりやすさ第一で追加テキストをつくり、講師として受講者にどう伝えるか考えていく中で、私の知識も掘り下げられました」
周囲の人たちに学びながら、
今の業務で独り立ちできるのが目標
現在は元々国内企業だったのが外資に買収されたエレクトロニクスメーカーで、イメージセンサー用LSIのアナログ設計をしている。こちらの業務もメイテックの先輩に声を掛けてもらって配属が決定した。ただ、最初は不安もあったという。だが、田内さんは成果がシビアに評価される場所で年々対価向上に成功している。
「車載カメラや動画撮影用カメラで使用するイメージセンサー用半導体の設計です。同じ電気でも、これまで大きなものを設計していたのに対して、半導体というミクロの世界に対応できるか心配でした。扱う電力や電圧の桁が違っていました。先のことを考えないほうなので、なんとかなるとも思っていました。回路図作成、半導体レイアウト、シミュレーションなど仕事の幅は大変に広く、3年たちますが、まだ全体像は見えません」
これまでの仕事で常に考えてきたことは「早めに立ち上がろう」「早く戦力になろう」ということ。仕事の内容がつかめずにまごついていたら、その期間は無駄になるし、最悪の場合は契約が打ち切られる。日頃は自然体の田内さんも、配属当初は、職場に慣れる、ツールを覚える、スキルの足りない部分は学習するなど、馬力を上げてきたという。
「最近思うのは、コミュニケーションというのは量が大切だということ。新しい職場になかなかなじめずに苦しかったときは、深く考えず、周囲との会話を多くするだけでも違うかもしれません。会話が増えると、自然とその中に有意義な情報も増えるし、職場での動き方も見えてくるはずです。これからも自分の前にいる人たちに学びながら、今の業務で独り立ちできるようになるのが目標。その中で、田内を手放すのは困る、というぐらいの評価がいただけるといいなと思います」
とはいうものの、相変わらず暑苦しく仕事をする気持ちはない。将来についてもイメージはまだ何もない。エンジニアを生涯継続するかすら分からない。
「今の仕事は嫌いではないので、辞めることもないかと思いますが、その時々の気分でふらふら変わるかもしれません。さまざまな選択肢の中で、メイテックがやっぱり面白いと思えたらずっと続くかも」
働き方も意識もメイテックっぽくない?人。だが、独自の取り組みで着々と成果を残しステージアップを果たしている
※当社社内報「SYORYU」:2023年秋発刊号に掲載した記事です