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Interview

ソフトが分かる電気技術者として、ロボットやAI、そして社会貢献活動へ。

電気・電子系エンジニア

黒澤 誠一

エンジニア略歴

  • 1985年新卒入社
  • 1985年~流通機器端末の開発
  • 2002年~金融システム機器の開発
  • 2005年~タッチセンサー技術開発
  • 2009年~携帯電話電子部品開発
  • 2011年~スマートセンサーの設計
  • 2012年~RFIDリーダライタの設計
  • 2013年~交通機器開発、プリペイドカードの暗号化および解読化装置の設計・評価
  • 2016年~ロボット掃除機の開発
  • 2020年~大型ロボット家電系新製品開発

ギターエフェクターを
つくりたくて電気の道へ。

メイテックエンジニアの多くは、配属先の数を重ねながら技術の幅を広げていく。だが、一つのお客さま先で長期間契約更新を重ねながらチャレンジを続ける人もいる。今回は57歳までわずか2社で、精力的に技術と経験を重ねる黒澤さんの働き方を紹介する。

専門学校で電子工学を勉強した。そのきっかけは意外にも音楽だった。

「父親がトラックやコンクリートミキサーなどの大型特殊車両の整備をしていて、子どもの頃からエンジニアになりたいと思っていました。方向性が機械から電気電子に変わったきっかけは、中学の頃に始めた音楽です。エフェクターをつくりたいと仕組みを学び始めたところからでした」

専門学校では数学や物理で苦労することもあったが、電気電子に関してはほとんどが習う前に知っている内容だった。卒業研究は、当時はスタンドアローンが当たり前だった8ビットパソコンをシリアルポートでつないでネットワーク化するというもの。自分ではんだ付けして基板をつくりパソコンをつなぎ、通信ができたときのうれしさは今も忘れられない。

「就職にあたっては、いくつかのメーカーから内定をいただいていました。ところが、父親に自分は設計をしたいと言うと『だったら、メイテック(当時は名古屋技術センター)しかない』と言われたのです。なぜ父親がメイテックをそんなによく知っていたのか、今でも大きな謎ですが、今になって思えば生涯プロエンジニアを貫けるよい選択だったと思います」

この偶然の導きによりメイテックエンジニアとしてのキャリアが始まった。

複雑な電気回路を設計し、
ノイズ除去に頭を抱えた。

「1985年に入社して最初に配属されたのは、実家から歩いて3分の場所にある、POS(販売時点情報管理)や医療機器をつくっている電子機器メーカーでした」

POS端末の設計チームに配属された。「当時は、現在よりはるかに大型の機械で、何枚もの基板が必要でした。その一つ一つの回路の論理設計とレイアウトを行います。当時はまだ二次元CADがフロアに1、2台という時代で、シミュレーションなどはできません。設計した回路が動かないときは、青鉛筆でパーツの機能を一つ一つ確認しながらデバックする膨大な作業がありました」

現在より低レベルの製品にもかかわらず、部品数は膨大。機械の設計過程では、今では考えられないトラブルも起きた。

「基板が何枚も平行してセッティングされていて、ケーブルの数も多いために、ケーブルがアンテナ役を果たしてしまい、法令を超えるノイズ電波を送ってしまうことがありました。ノイズの発生地点を探り、配置を換える、分散するなどの方向で解決を図っていきました」

頭も手も使い、時間もかかる作業。ときには泣きたくなるほどしんどかったこともあったと言う。だが、苦労の末に解決したときには、職場中から拍手が起こりハイタッチの輪ができる。そんな職場で仕事の基礎を教えてもらったと懐かしむ。

自主的にソフトを学び
「ソフトの組める電気技術者」へ。

新卒入社後に働き始めたお客さま先での業務は15年継続し、事業部門そのものが撤退になる。ところが次の業務も同じ会社。結局、職場を変えながら2016年まで一つのお客さま先で働き続けることになる。

「電気設計の分野には、私が逆立ちしても敵わないスペシャリストがいることが分かってきました。私に発揮できる独自性は何かと考え、システム的に発想できることではないかと気が付きました。そして研修に参加しソフトウェアの勉強を始めます。それが功を奏し、以降は『ソフトも組める電気技術者』という評価をいただけるようになりました」

次の業務ではまさに「ソフトを組める電気技術者」が求められていた。現在はスマートフォンなどで一般的になったタッチスクリーンのハード&ソフト設計。2006年当時には、いかにストレスのないレスポンスを得られるか試行錯誤が繰り返されていた。「このような組み込みシステムの場合、言語はCで組まれるのが通常です。でも、この場合はよりデリケートな機能が求められるので、タイムラインを制御するため機械語に近いアセンブラを利用しました」

組み込みマイコンのプログラムをアセンブラで行ったと言うと、メイテックのMS系エンジニアからも驚かれたという。

メイテックならではの社会貢献。
ロボットへ。AI領域へ。

黒澤さんは同じ頃にもう一つ、直接的な社会貢献がしたいと活動を始めた。メイテック滋賀ECにてスタートしたメイテック・キッズ・サイエンススクール(MKISS)の運営顧問。

「創業30周年を記念してメイテックの社会貢献を考えるプレゼンテーション大会が行われました。ここで入選し当時の社長にもほめていただき、後に引けなくなってしまった(笑)」

地元の子どもたちを集めてロボットなどの工作を行う。その中でプログラムや動力の仕組みを学ぶ。2006年にスタートし、現在まで続いている。

「子どもたちが目を輝かせて科学に興味を持ってくれるのがうれしく、翌年も来てくれると大きな達成感を味わえます。また運営を通じて、メイテックの若いエンジニアが年々成長していく姿もうれしいですね」

業務での副産物もある。二つ目のお客さま先は家電メーカーで、ロボット掃除機の開発に関わった。知能部のハード検討・評価・検査方法などを行う一方、生産ラインに乗せるため多様な問題解決を行った。

「課題は、いかに低コストで、高速で、生産できるか、といった漠然とした形で寄せられます。これに対して、どのようなアプローチを行えば解決できるか考えました。例えば、ライン制御のためのパソコン費用を低減できないか。プログラミング学習用に開発されたコンピューター『ラズベリーパイ』はどうだろう?1台5000円で買えるこのハードで制御すれば、パフォーマンスを下げずにコストダウンできることを思いつきました。このハードに着目できたのも、MKISS運営での情報収集の賜物かもしれません」

2020年7月からは、同じお客さま先で新製品開発部門へ。現在は、AIとロボット技術を駆使して、今はまだ極秘の新しい家電づくりに関わっている。

「さまざまな経験を経たことで、プログラミングやロボット技術を通じて、小さいものを思いどおりに動かすことには、それなりの自信が持てています。エンジニアの仕事が好きなので、生涯続けたいですね」

将来は、プログラミングスクールの講師などを通じて、子どもたちの好奇心にも応えたいという、骨の髄までものづくりにほれた、技術を愛するエンジニアだ。


※当社社内報「SYORYU」:2021年春発刊号に掲載した記事です

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