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Interview

メーカーで生産技術を極め、たどりついたメイテックで生涯エンジニアの道を進む。

機械系 生涯プロエンジニア(R)

浜迫 伸吾

エンジニア略歴

  • 1985年~精密機器メーカーで半導体製造装置の設計・生産、顧客工場での立ち上げ
  • 1989年~半導体メーカーで装置技術開発・生産技術開発・装置導入・量産工場立ち上げ
  • 2010年~EC企業で物流倉庫の自動化プロセス・自動化装置の開発・設計・導入・改善・物流倉庫立ち上げ
    新規ビジネスの企画・立ち上げ
  • 2017年~Start Up事業の立上げ
  • 2019年~車載ディスプレイメーカーで生産技術開発、量産ライン立ち上げ
  • 2021年メイテック入社
  • 2021年~製鉄所の生産ラインのDX(IoT,AI、Robotics)
    基本構想・予算化・開発・設計及び各案件の設備・システム導入・立上げ業務
  • 2024年3月定年到達

配属先で初めて知った
半導体製造装置の面白さ

実家は田舎で正面が海、裏が山という自然豊かなところで育ちました。

私の父は外国航路船の機関士で、帰国した際は、船の甲板や機関室、操舵室に連れて行ってもらい、その迫力に大興奮して、機械の魅力に取りつかれました。小学生の時、「将来の夢」の作文に「船のエンジニアになる」と書いたほどです。高校生の頃から憧れの対象が飛行機に変わり、卒業後は航空機に関する航空工学、機械系工学、航空機ジェットエンジン工学などを学びました。そして航空機の計器を開発、製造するメーカーを志望して、狙い通り就職できました。

そこは民間機、軍用機を問わず計器やオートパイロットの装置を製造する大企業で、多くの事業部がありました。私が配属されたのは航空機とは直接関係がない、半導体製造装置の部署。最初は航空機関連ではないことが少し残念でしたが、何も分からない中で先輩に指導してもらいながら必死に仕事を覚えました。そのうちに、「これが自分の天職だ」と思えるようになります。

ここでの半導体製造装置の開発は、少数精鋭で数人のエンジニアが構想から設計、製造部との調整、最終的な顧客先での設置まで行います。そのメンバーに加わりました。現場でガスの配管加工や溶接、ケーブル配線・機器組み立てまでやりましたね。

半導体製造の生産技術で
成長機会を得る

最初の会社で、装置全体を開発する醍醐味を知り、半導体の分野を極めたいと思うように。4年ほど勤めた後、半導体メーカーに転職を決意し、その後約20年、その半導体メーカーで生産技術・製造技術を続けました。私のエンジニアキャリアの中で、最も長い期間を過ごすことになりました。

そのメーカーは米国に本社があり、半導体本体だけでなく、それを製造する装置も自前で開発していました。私は半導体製造の生産装置技術開発・プロセス技術開発・量産技術の開発から導入まで行う生産技術開発部に配属されました。技術的にも、ドライエッチングという最先端のテクノロジー分野を担当していたので、毎日が勉強でした。

半導体の世界は日々微細化が進んでいきます。理論的に技術を進化させていく理詰めの世界もありながら、自分で仮説を立てて試作で検証していくのが難しく、面白みでもありました。

最先端の微細化は、研究開発部門が先行して開発を進めていますが、その技術がそのまま量産で使えるわけではありません。そこで、量産するための課題を開発部門と洗い出していきました。

技術的にも大きく進化し、市場の変化に対応しながら生産技術開発から量産工場、量産ラインの立ち上げを推進。当時は、半導体メーカーが製造装置技術・プロセス技術の先端技術・製造プロセスのノウハウを握っており、装置専業メーカーと相互技術供与を行なっていましたが、徐々に独立した装置メーカーが力を付け、現在は製造装置専業メーカーの装置を導入し、製造装置メーカーが技術を牽引しています。

この20年が、エンジニアとしての基礎となっているのは間違いありません。同僚は良きライバルであり、技術を競い合って成長してきました。

リーマンショックで転機。
さまざまな生産技術に関わる

2008年、米国で起きたリーマンショックの影響が世界に波及しました。勤務先のメーカーも国内外の工場を次々と閉鎖し、先が見通せなくなったことで退職を決心。

そこからしばらく失業状態だったのですが、思えばこの期間は非常に重要でした。

すぐに働きたくても、世の中はリストラの嵐が吹き荒れていて、簡単には再就職先が見つかりません。3人の子どもは高校、大学在学中で、お金のかかる時期でしたので不安もありましたが、妻は私が無職になっても不安や不平を言いません。また近所の目も気にすることなく、「早く働いて」などと言わないのです。それは本当にありがたかったですね。

私もどっしり構えられるようになって、ハローワークや転職エージェントに通いつつ日々の技術インプットと運動を欠かさずに、ご縁があるのを待ちました。

ある日、ある大手EC企業が生産技術エンジニアを募集しているのを、ホームページで知りました。そのEC企業は事業の著しい成長に合わせて物流拠点の拡大と自動化を加速させており、半導体製造・製造装置の全体設計で培った技術が生かせると考え、応募すると、なんと採用となったのです。

そこに入社して1週間ほどで出張を命ぜられました。「この日までにそこに物流センターを立ち上げるから、1人でまとめてきて」といった感じで、大きな目的しか与えられず、細かい指示はゼロ。あとは全て自分でなんとかしなければいけませんでした。

この会社で大事なのは、過去の業界経験よりも目標に対して強いリーダーシップを持って自ら挑戦・行動し、課題に対して創造・解決していく人材でなければならないことでした。約7年間働きましたが、スピード感と権限委譲のすごさに驚きつつ、いい経験ができたと思います。

生涯エンジニアでいたいから
60歳目前でメイテックデビュー

ただ、一気に会社が成長したことで、7年でもかなり古株となりました。次のテーマを見つけたくなった頃、知り合いから声が掛かり、物流倉庫で動くロボットのベンチャー企業の創業メンバーに入ることにしました。

思い切った転身でしたが、前職で体験していた物流業界の構造的な人手不足問題と人海戦術によるオペレーションを卓越した技術を創造し提供して解決し、新たな潮流を一緒に起こしたいと思い入社。そこではロボットの運用を統括する責任者を務めました。

しかし、採用したアジアのメーカーのロボットが現場で不具合を連発。何度改善を求めてもまともに動きません。結局、ロボット事業からは撤退し、私もこの会社から離れることになりました。

その後、自動車用ディスプレイを製造するメーカーで生産技術として新製品の生産技術開発・工程設計・装置開発から量産ラインの立ち上げまでに携わりましたが、そこでの管理職としての仕事に終始することに少し物足りなさを覚えるように。

60歳を目前にして、できれば現場の仕事に戻って、生涯エンジニアとして働き続けられないか。そう考えて出合ったのがメイテックでした。初めは派遣という立場や、長年管理職であったために専門的な知識を持っていないことに悩みました。しかし、面接やセンター長との面談を通して、幅広い知識を買っていただき、加えて、「これからメイテックはDX やスマートファクトリーなどの生産技術にも力を入れていく」と聞き、さらにセンター長は「エンジニアの日本代表をつくる」とも言われました。この言葉も後押しし、メイテックでなら後10、20年働けるかもしれないと思ったのです。そして入社したのは2021年で57歳のとき。究極の中途入社です。願い通りの仕事の場を与えてくれた会社には、心から感謝しています。

現在、製鉄メーカーの製造ラインのDXに取り組んでいます。人が作業するには危険な現場を、IotやAI、Robotics などのテクノロジーを使って自動化するための全体設計をするチャレンジです。企画・基本構想・予算化から導入までなど、今までのキャリアを生かせる内容でありつつ、自分の分野とは違う電気系やIT系の技術を使っており、日々、勉強しています。新しいことばかりで毎日が楽しくて仕方ありません。現在、10件ほどのプロジェクトが同時に動いており、定年到達といってもあまり実感がありません。向こう10年、いやもっと長くこのまま走り続けていきたいと思います。

(インタビュー:2023年12月18日)

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