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Interview

顔認証やキャッシュレス決済。
スピード感ある開発プロジェクトをまとめていくマネジメントの先駆者でありたい

IT系エンジニア

鈴木 岳弘

障がいにより不自由な方を少しでも支えられるシステムをつくりたい

エンジニア略歴

  • 2012年11月キャリア入社
  • 2013年1月~各種利用申請管理システムの開発
  • 2013年6月~放射性廃棄物の発生、運搬、焼却の管理システムの開発
  • 2013年10月~3D-CADデータから核解析コードMCNPの入力データを生成するシステムの開発
  • 2014年4月~駐車場の在庫や料金などの管理システム、駐車場検索システム、空港などの駐車場予約システムの開発
  • 2019年6月~自動販売機・オフィスコンビニ端末のキャッシュレス決済システムの開発、自動販売機のキャッシュレス決済システムのネットワーク、サーバー構築のプロジェクトマネージャー

「ないものはつくればいい」
という父の影響で技術の道へ

伝統的にメイテックにはスペシャリスト志向の人が多い。マネジメントは「できれば避けたい」人が多数派かもしれない。その中にあって鈴木さんは、「プロジェクトを全て任せられるマネジメント業務」に意欲を持って働いてきた人。

キャリアの原点は、子供の頃の二つのきっかけからなる。一つは父親が機械系エンジニアとしてメイテックに勤務していたこと。父の趣味で自宅には、ワープロやパソコン、点字式コンピューターまであった。

「父親の口癖は、『ないものはつくればいい』。父が与えてくれたエンジニア魂。今も私の根幹を支えてくれています」

もう一つは、障がいのある人々のために役立つ仕事がしたいという目標。言語が不自由な人のために、話し方や言葉遣いを指導する言語聴覚士という仕事を知り、興味を持つ。中学生の頃には「障がいを持つ人々が不自由なく幸せに暮らせるシステムづくり」が目標になった。

高校を卒業して、より現実的な選択ということで技術の道に進むことになる。

「変な話ですが、父親が従事していた機械の仕事にはあまり興味が持てませんでした。むしろ父の趣味であったコンピューター系の仕事に就きたくて、情報系専門学校に入学しました」

好きこそものの上手なれ。高校時代はあまり勉強熱心ではなかった鈴木さんも、専門学校では3年間皆勤。卒業研究ではネットワーク上で膨大なパケットを流しても重要な通信に影響が出ないように割り当てるQoS(Quality of Service)による帯域制御を学んだ。ネットワークエンジニアになる、という目標が見えた。

現場で学んだ
「まとめる」仕事の大切さ

専門学校の推薦で、大手企業系列のIT企業に入社した。最初の業務はトイレ用品の商品管理システム開発。その後も、ネットワークとのつながりが少ない開発やチームの取りまとめの仕事が続く。

「ある時、職場の上長に、『もっと自分はネットワーク設定がしたい』と不満を漏らしました。すると言われたのが、『エンジニアたちの意見を聞きながら進めていくことは非常に大切で重要な役割』だということ。それが転機になりました」

その頃、大手メーカーでプロジェクトマネージャーをしているエンジニアと知り合い、頻繁に会うようになった。

「飲みながらマネジメントの重要さについてとうとうと語られました。その時は意味が分からなくても、何年もたって腑に落ちる話も多く、今でもメンターとしてお付き合いをいただいています」

最初にリーダーの仕事を経験したのは、カーナビゲーションで使用する地図の配信管理システムのプロジェクト。全体で500人のプロジェクトを動かした。業務フロー作成や、担当者個々の作業内容および帳票類の設計などを行い、プロジェクトマネージャーとしての基礎を体得していった。

「そしてメイテックに入社……となっていればきれいなストーリーになりますが、実は、その間に起業して道半ばで終わってしまいました」子供の頃からのもう一つの目標、障がいのある人の役に立つ仕事。目の不自由な人の杖にネットワーク端末機能を持たせて、ナビゲーションシステムをつくろうという発想だったが、挫折。

「開発資金のために平日は派遣で働き、週末集まって開発。結局、製品化にまで至らず会社も解散になりました」

再就職を目指す中で、ふと父親が働くメイテックとはどんな会社かと思い、調べてみると、さまざまな会社で働きながら幅広い技術や知識を吸収できて楽しそうだと感じた。しかし、父親には反対された。

「『生涯勉強を続けなくてはいけない会社だから、大変だよ』と言われましたが、押し切って入社しました」

開発から入った仕事を
自力でマネジメントに発展させた

ところがメイテックに入社して、いきなり壁にぶつかる。プロジェクトマネージャーをしたかったが、営業に「そんな業務はない」と言われた。メイテックには設計のスペシャリストを派遣する伝統があり、選べる仕事も偏って見えた。

「まずは開発の業務から始めて、仕事の幅を広げていく努力をしました」

与えられた開発の業務は当然100%のアウトプットで応える。それと同時に、仕事の中で得た発見は次々と提案する。進め方やマネジメントに関する提案も行いながら「鈴木に任せてみよう」という雰囲気をつくりあげていった。

「メイテックに入社して最初に配属されたお客さまは、大手重工メーカー系列のシステムエンジニアリング会社。国家プロジェクトに関わる仕事だったのですが、リーダーが突然病気で辞めてしまいました。代わりにリーダーをできそうなのは? 鈴木しかいない! とめでたくプロジェクトマネージャーになりました」

お客さまの過去の業務でトラブルがあり、大手得意先との関係が悪化していたため、もし今回失敗したら、会社の存続さえ危うくなる。危機感あふれる業務を仕切り、なんとか納品し、稼働に持ち込む。業務が終了する時には社長から握手を求められるほどの関係性を構築していた。

企業イメージを変える
マネジメントの仕事がしたい

その後も「開発の仕事から入り、仕事をマネジメントに育てる」経験を重ね、現在の職場では、ついに配属スタート時からプロジェクトマネージャーを任された。

当初は自動販売機のキャッシュレス決済システムの開発として立ち上がった業務。そこから派生して、オフィスコンビニの自動決済、顔認証による決済などにも発展。現在は同時進行する複数プロジェクトの統括業務に携わる。一方で、クラウド上での決済システムネットワーク構築のような作業は自身で行い、技術を錆びさせない努力もしている。

「コロナウイルス感染拡大後、在宅勤務にシフトし、開発メンバーはほぼ100%在宅勤務。その中でコミュニケーションを大切にしています。毎日のようにオンラインで個別・全体のセッションを組み、私の業務の80%は対話することで占めています」

結果、メンバーの業務を把握し、精度の高い業務を、スピード感をもって進める環境は、むしろ改善できたという。

現在、お客さまからは、仕事を引き継ぐプロパー育成を依頼され、一日も早く職場を去れる環境づくりが今後の課題。

「私の目標は、メイテックが設計のスペシャリストというイメージを脱し、プロジェクト全体を任せられる会社という評価を確立することです。この数年、社内の空気は変わってきたところもありますが、お客さまの評価はまだまだ。その改革が私の役割だと思っています」

エンジニアキャリアの原点ともなった障がいのある人々への支援として、エンジニアとは別の形だが、コンビニに行くたび、100円でも募金を欠かさない。鈴木さんは社会とのつながりを大切にするエンジニアだ。


※当社社内報「SYORYU」:2023年冬発刊号に掲載した記事です

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