Interview
転機を求めた。自ら動いた、MATLABという武器と、探し求めた場所の獲得。
マイコン・システム系エンジニア
エンジニア略歴
- 1998年新卒入社
- 1998年~航空機搭載機器の設計開発
- 2001年~通信機器高周波モジュール製造技術開発
- 2002年~CTスキャナーの不具合解析、手順書作成
- 2003年~信号変換機の設計、圧力センサーの試験、不具合解析
- 2010年~超音波診断装置の生産技術
- 2012年~医療機器(リハビリ機器)の研究開発業務
- 2017年~MATLAB/Simulink,Dymolaを用いたモデルベース構築
ゲーム好きが高じて情報工学へ、
なぜか卒業研究はハードウェア寄りに。
人は時としてボタンを掛け違えたように、考えていたのとは違った方向に進んでしまう。しかし、自分と世の中の状況をきちんと見て、次の一手を見いだしていけば、目指した道に戻れるはず。今回登場するのは、MATLABというプログラミング言語の習得をきっかけに、求めていた自分の場所を取り戻した福井さんだ。
福井さんとコンピューターのつながりは古い。小学校低学年の頃には家にパソコンがあり、ゲームで遊んでいたという。
「高校は理系コースに進み、数学だけは成績も良かったので、大学では情報工学を専攻することにしました」
大学時代は勉強よりも軽音楽サークルでベースを弾くことに熱中していたようだ。そこで一つ目のボタンの掛け違いが起こる。
「ソフトの勉強をしたかったのですが、成績の順番に研究課題が決まってしまい、結局、ブレッドボード上に配線を行い、基板の動きをシミュレーションして電子計算機をつくるという、ハードウェア的要素の強い研究課題になりました」
1998年に卒業。氷河期と言われた就職難で厳しい状況が続いた。ある日届いたメイテックのダイレクトメールを見て「ここでなら、いろんな技術の仕事ができそう」と思った。
日本は不況を脱していなかったが、まもなく訪れるITバブルを前に、メイテックが1000人採用をしていた時期に入社。当時の東京西ECに配属となった。
プログラミングがしたかったが、
ハードウェア系の仕事が相次ぐ。
プログラミングの業務を希望していたが、配属先のお客さまより「ハードウェアの経験を生かしてほしい」とのことで、電気系の業務からのスタートとなった。それが二つ目のボタンの掛け違いとなる。
「航空機に搭載される計器を製造しているメーカーに配属されました。仕事は製品の電源基板や試験装置設計と、製品不具合発生時の原因究明。その他の関連業務が次々と降ってくる毎日でした」
大学の卒業研究がハードウェア寄りだといっても、職場で任されたのは、次元の違う高レベルな内容。現在のCADのようなシミュレーション機能のないエディターでの作業は、論理設計の過程で一歩進むごとに立ち往生した。
「一から十まで教えてもらい、付いていくので精一杯。楽しむ余裕などありませんでした」
この職場で3年以上契約継続できたのは、頼まれたことは断らず、快く引き受け続けてきたからと振り返る。その中で、電気系の知識を身に付け、他部署とのコミュニケーションの取り方を学んだ。
入社後の一社目で電気の仕事を経験したことから、その後も同様の仕事が相次ぐ。通信機器高周波モジュール製造技術開発、CTスキャナー開発後の総合検査と短期の業務が続いた。そして、最初の配属先のグループ会社で、圧力センサーの試験・不具合解析に携わる。
「設計の仕事ではなく、不具合解析や資料作成、部門・メーカー間調整などで、お客さまに高い評価をいただき、約5年半継続しました。ただ、この頃は設計の仕事ができないことに焦る気持ちや、10年、20年後も同じ仕事を続けることができるのか、という不安が付きまとっていた時期でもありました」
そこでリーマンショックが起こる。復帰。停滞。生き残る道を探して、営業トライアルを申し出た時期もあったという。
MATLABでの開発を申し出て、
プログラミングへキャリアを変化させた。
いくつかの短期業務の後に医療機器メーカーに配属された。営業からは「期間は1カ月か2カ月」と言われていたが、結果5年7カ月継続する。最初はここでも、作業マニュアルなどのドキュメント作成や社内講師業務など「設計以外」が大半だった。だが、契約が続くうちに、開発中の製品に関して「お客さま先の誰よりもよく知る」人物となる。そこで将来に向けて、一歩踏み出す決意をした。
「電気系の業務が続いていましたが、プログラミングへキャリアを変化させたいと考えました。しかし、C言語やjavaのプロは多く、開発経験のない自分が今から追いつけるとは思えませんでした。同じプログラム言語でも、MATLABはまだ使える人材も少なく、ニーズは今後増えるという情報を営業から得ていました。ここで勝負をしようと決心したのです」
お客さま先に対して「1カ月職場でMATLABを学ぶ時間をください。その知識を生かして研究業務に貢献したいと思います」とお願いして、受け入れてもらった。そして、患者のリハビリや支援といった在宅医療を目的とした研究を行う、技術研究部門に配属された。
「1カ月間集中してMATLABに関する知識を習得しました。仕事内容は患者さんの動作をモーションキャプチャなどで三次元的にデータを取得し、その動きを解析するMATLABのプログラム作成でした」
初めてのプログラミングに大きな困難はなかった。むしろ、苦労したのは英文を含む専門的な医学論文を読まなくてはいけなかったこと。とはいうものの、自分で進んで獲得した場所での苦労には、それまでのような不安な気持ちは全くなかった。
自動車領域でMATLABを駆使し、
経験と守備範囲を拡大中。
お客さま先の事情で契約は終了となったが、次もMATLABの技術を生かせる職場へ配属となった。
「MATLABによる業務は、自動車業界でも今後拡大していくことが予測できました。希望して得たのは、自動車メーカーの開発部門での業務。制御部分やエンジン、トランスミッションなどの開発リスクを減らすために、システム内でシミュレーションして開発スピードとコストを低減する、モデルベース開発です」
お客さま先には、以前から同様のシステムは存在していた。最初に依頼されたのは、改善の仕事。だが長年使われ多くの人々の手による改良が重ねられた中で、システムには不安定な部分も増えていた。福井さんは再びお客さまに提案する。ゼロベースでつくり直した方が、より良いものになると考え、時期を提示して「私にやらせてほしい」と希望した。
MATLABを活用するために、テスト対象のシステムをモデル化するツールであるSimulinkに関する新たな知識を習得し、確実な顧客評価も獲得していった。
配属された当初は、システムの中身を見て「自動車業界の部品開発はこのようにシミュレーションするのかと学ぶ部分がほとんどだった。だが、学習を続けているうちに「この部分は自分ならこうする」と、既存システムを改善するためのアイデアが浮かぶようになっていた。
「プロジェクトは今年中に終了しますが、今後も今のお客さま先には、MATLAB、Simulinkの知識を生かせる場所があるので、このままこの分野の業務を極めてみたいです」
不運もあった。エンジニアとして進むべき道に悩んだ時期も存在した。だが、自らの選択と学習により、プログラミング業務のポジションを確立した今、福井さんの姿は自信にあふれて見える。
※当社社内報「SYORYU」:2020年秋発刊号に掲載した記事です