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Interview

半導体露光装置の液浸露光ユニットの汚れを除去する。
化学的アプローチで
化学以外によるアプローチで

化学系エンジニア

上原 寛之

この世界大体すべては化学でできている。化学を知ることで世界の仕組みもわかってきます

エンジニア略歴

  • 2012年新卒入社
  • 2012年~電子材料と染料に関する新規化合物の有機合成
  • 2014年~半導体露光装置の設計開発

多彩なことに挑戦したい性格。
アカデミックではなく、メイテックへ

派遣エンジニアとして働くとき、往々にして壁になるのはお客さまの社内ルール。「それは知らなくてもいい」「教えられない」が技術を深める壁になることもある。今回登場するのは、そんな不自由な中でも結果を出し続けることで、確実に仕事の自由度を獲得してきた上原さんだ。

大学で有機化学を学び、修士課程に進む。研究テーマは、ノーベル化学賞を受賞したパラジウム触媒クロスカップリングの延長線上にある研究。

「シンプルに表現すれば炭素と炭素をつなぐことにより、有機物の合成の自由度を向上させます。私の場合は、研究室独自の化合物メチルイミノジフェニル–λ6–スルファニリエエンにより、効率の高い化合物のデザインを目指しました」

そもそも化学の道を選んだ出発点は高校の頃にさかのぼる。「この世界のほとんどの事象は化学反応によって起こっている」と気付き、化学によって世界の成り立ちをより深く知りたいと考えた。試行錯誤しながら探求していくアカデミックの道を貫くことも1つの選択肢としてはあった。

「院の1年目までは研究を楽しく感じました。でも、修士論文を書きながら、死ぬまでずっとこの世界にいるのか、と考えたら、外に出てみたいと思うようになりましたね。じつは飽きっぽい人間なので」

就職活動では、医薬品や材料メーカーの面接を受けていたが、一般的なメーカーのキャリアモデルによくある、下積みを経て将来は管理職、という道はあまり望んでいなかった。

「そんな時に知ったのはメイテック。多彩な場所で多彩な仕事ができる場所だと感じました。化学の知識を基礎にして、化学以外の業務につなげたいという気持ちが入社を決める大きな理由となりました」

合成の業務に明け暮れた新人時代
プロパーと派遣の壁を感じる

最初に配属されたのは、光学関係機器から医薬品まで幅広い製品を提供している企業。液晶画面や半導体などの材料になる電子材料の開発部門で、新規化合物の有機化合物を合成する業務に携わる。

「上長からこの条件の化合物を合成してほしいという課題を与えられます。決められたスケジュールの中で作業して、生成物を分析して報告書を書くという手順で仕事は進みました」

高分子化学を用いる業務で、専攻していた有機合成とは性質が違っていたが、対応するのは困難でなかった。大変だったのは、時折莫大な量の作業が要求されること。「ある時、3日以内に100以上の高分子を生成し、報告書を提出するように指示されました。反応に1日以上かかるので、順番にやっても間に合いません。同時進行で100以上の試験管が反応するのを見守るのは、壮絶な風景でした」

メイテックに入社する理由となった化学以外との接点を持つことはあまりなく、ほぼ100%化学の仕事。一方で化合物のデザインというような発展性のある仕事はできなかった。上長へ改善案を提案するなど自分なりに仕事を深めようとする努力もしたが「それは知らなくてもいいです」という言葉に阻まれた。業務は1年9カ月続いたが、心のどこかにわだかまりを抱えたままだった。

装置やシステムに関わる業務で
悪戦苦闘は5年続いた

2番目の、そして現在も継続するお客さまへ。そこで上原さんの業務は一変した。半導体製造の露光部分。ほぼ限界に達した精度をさらに進めるために、超純水をレンズが代わりにする液浸露光技術が使われている。だが、水を介することにより、レジストの破片などが汚れとなって、精度を下げる現象が起こる。その洗浄=防汚ユニットの設計業務を任せられた

「汚れといっても1ミクロンの何千分の一という世界。どのような装置を使うか、液剤をどうするか、機械的視点ばかりでなく化学的な考え方も必要とされます。化学合成しか知らなかった私が設計からシステム、また使用する液剤にいたる未知の仕事を任せられるようになりました」

最初は全然役に立てなかったとふり返る。だが、必死で食らい付いていった。「正直言うと、分厚い専門書を読んで理解するというのはあまり好きではありません。とりあえず、思ったことを試してみて、出てきた結果に学んで知識に肉付けする主義。仕事を理解していると感じるまで5年はかかりましたね。今も分からないことは、山ほどありますが」

配属されたお客さまは名うての仕事に厳しい上長が勢揃いするチーム。「例えば仕事の状況や不具合について説明するのに、全てデータを持って語ることが求められます。職場で認められるまでは、つらかった。メンタルのコントロールができてよかったと思います」

これは余談だが、高校の頃には弓道部にいて長野県大会で優勝し、インターハイ出場経験もある上原さん。その鉄則である「的(まと)は鏡」の気持ちで仕事に向かい、心を折らずに職場での存在感を増していった。

化学以外から逃げなかったから
化学を深めることもできた

半導体露光装置メーカーでの業務がはじまり5年を過ぎて、それまでとは異なる仕事を任されるケースも増えはじめた。

「それまでは、露光部分の洗浄というパーツに限られたものでしたが、半導体露光装置全体に関する防汚に関して意見を求められるようになっていました。イメージとしては、虫眼鏡で見ていた技術から一歩下がって、より広い領域に関わるようになったという感じでしょうか?」

それにつれて、業務の幅も種類も多様になっていく。例えば、外部のメーカーに発注している洗浄機器が目標とする性能に達しているか視察する機会も増えた。また、SDGsの基準が厳しくなるなかで、洗浄液を廃棄するための基準クリアに関する議論にも加わり意見を述べる。他部署からの問い合わせも増えた。

この部署に新しい技術者が加わるにあたってのサポートも行っている。フォローや教育のためのフローを作成することで、新人のスムーズな導入を助ける。自分が苦労した部分に必要なサポートを行い、早期戦力化を助け、すでに2人のメイテックエンジニアが職場に加わった。

「これは私の自負するところなのですが、同期入社したCH系の人を見たとき、正面から化学と向きあっている人はあまり多くありません。私は化学以外の部分の仕事から逃げずに向き合ってきたことで、逆説的に化学に関する知識を生かせる機会も拡大してきた気がしています」

現在の部署、最初の5年は必死すぎて、自分を振り返る時間もなかったという上原さん。現在では、幅広い視野を持って装置の仕様を決めるような仕事も増えてきた。「それは知らなくてもいい」という派遣エンジニアの壁を少しずつでも越えて、活躍する場面を広げていけるのが一番楽しいという人だ。
※当社社内報「SYORYU」:2024年夏発刊号に掲載した記事です

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