Interview
自動二輪、プリンター、自動車。
大好きな「メカ」を存分に扱い、いま仕事人生の集大成に挑む。
機械系 生涯プロエンジニア(R)
エンジニア略歴
- 1980年メイテック入社
- 1980年~合成樹脂加工機械の標準図面作成
- 1980年~二輪自動車の設計
- 1983年~ドットマトリックスプリンターの設計・試作
- 1985年~自動車車体の設計
- 1995年~自動車電装の設計
- 1995年~金型製品用金型の改善実務
- 1997年~自動車車体内装品の設計
- 2000年~自動車空調部品の設計
- 2012年~ゴルフカーの設計開発
- 2020年3月定年到達
希望と異なる二輪車の設計で
面白さに夢中になる
出身は名古屋です。
子どもの頃から飛行機が好きで、中学生の時に各務原の航空ショーへ行って実機に触れ、「将来はこんな飛行機をつくってみたい」と考えたのがエンジニアへの第一歩でした。
航空工学科のある東京の短大へ進み、就職先を探したところ、メイテック(当時は名古屋技術センター)の求人票に「航空機の設計ができる」とあり、迷わず入社を決めます。
結果から言えば、残念ながら航空機の設計には携わることはできませんでした。
しかし、いざ自動二輪車のメーカーに配属されて、業務が始まると仕事が面白い(笑)。エンジンを除くあらゆる部品を設計する部門で、3年強の間にフレーム、サスペンション、シート、燃料タンク、何でもやりました。
ベテランエンジニアの手伝いからスタートして、徐々に仕事を任せてもらえるようになります。
お客さま先の上司は、技術力が高くて教え上手で、職場は良い人ばかり。元々バイクや自動車などの「メカ」が好きでしたから、毎日が楽しくて仕方ありません。
当時はバイクブームで新製品も続々と発売され、次々と新しい設計に挑戦できました。その分、かなりの長時間労働でしたが全然つらくなかった。
「勉強しよう」という意識は特になかったと記憶していますが、やればやるほど頭に入り、仕事の一つ一つがそのまま血肉になりました。鉄も樹脂もアルミも扱い、鍛造、鋳造、削り出し、板金、プレスなど、加工法も学べました。今でも当時の経験から知識を引っ張り出すことがあります。
給料を貯めて自分が設計したバイクを買い、休日にはメイテックのバイク仲間とツーリングにも出かけるなど、公私ともに充実した、あっという間の3年でした。
現場に触れるほど
設計が「濃く」なると知る
1983年からの2年間はプリンターの設計に携わり、給紙装置を担当。設計から部品の手配、評価実験までを任されました。
工場の2階に設計部門があり、設計すると下の工場で試作してもらい、出来上がった部品を自分で組み立て、実験して修正する。そんなふうに自分の手を動かすことで、「つくりやすい、加工しやすい設計」があることに気付きました。
工場の人たちと仲良くなるにつれ、段取りの重要性も知ります。
製造に時間がかかりそうな場合は、事前に現場の人に相談すると、向こうもそのつもりで準備してくれるし、「こうしたら?」と設計のヒントをもらえることもある。
現場や現物に触れることで、「なぜそうするのか」の説得力が増し、精度の高い「濃い設計」ができます。ここでの業務も、ものすごく勉強になりました。二輪車とプリンター、この5年がなかったら、後の私は存在しないかもしれませんね。
勉強になったと言えば、1995年から2年ほど携わった、プレス金型の評価・改善業務も非常に得るものが多かったです。
製造したい部品からプレス加工の工程を立案し、工程を振り分けて金型数を決め、金型メーカーに発注。出来上がった金型で実際に量産試験を行い、大量生産に耐える金型と量産の流れをつくる仕事です。
どんな形状の部品をつくるにはどんな金型が何種類必要か。金型の現物に触れ、出来上がりの違いを目の当たりにすることで、「知識」が「経験」によって補強されていきます。
「こんな設計をしてはいけない」「こう設計すれば工程を減らせる」など、設計時に気を付けるべき点も、くっきりと見えました。
こうした経験から、私は「設計者は現場に出るべきだ」と、今も確信しています。
「工夫は不要」の設計でも
早期納品で+αの価値を提供
1985年からは、最も長く経験することになる自動車メーカーでの業務が始まります。
部署を移ったり、ほかのお客さま先での業務も挟んだりしながら、足かけ20年以上お世話になりました。
ここでの仕事のやり方は、私が経験したほかのお客さま先とはちょっと違っていました。
メイテックエンジニアが業務するための部屋が用意されて、そこで10名ほどのエンジニアが、さまざまな部品を設計。バンパーを設計する人、ドアを担当する人など、各自お客さま先社員と組んで、それぞれに仕事を進めます。
そして、「こうしてください」という設計指示が明確で、「工夫はむしろ不要。指示通りに仕上げる」がミッションでした。
最初は「こういうやり方もあるのか」と驚きました。
それまでは「なんとかして」「どんどん工夫して」と何もかも任されて、自分なりの考えを基にアウトプットしていましたから。
「言われたことをそのままやればいいなんて、なんて楽なのだろう」とも感じました。
ただ、何もかも言われるままでは自分の価値が出ません。そこで私は常に早めのアウトプットをすることにしました。「一週間で」と言われたなら3日で仕上げる。すると「仕事が早い」と評価され、「時間が空いたのなら、こっちも」と、別の部品を頼まれました。
おかげでここでもエンジン以外のほとんどの部品を担当することができたと思います。
重宝され、信頼され、お客さまやその取り引きメーカーも巻き込み、ソフトボール大会を行うなど、人間関係も良好。
しかし「こんなふうにマイペースに働いていくのもいいかも」と思い始めた矢先に、リーマンショックに見舞われ、契約が終了します。
この時の教育訓練期間は長く、3年近くに及びましたが、自分が勉強したいものがあれば、研修を企画できる仕組みもあり、自動車の勉強ざんまいで過ごしたことで、この期間も無駄にはなりませんでした。
エンジニア人生の集大成。
新型モビリティの設計に挑戦
3年の研修期間を経て、2012年からゴルフカーの設計に携わり、今に至ります。
当初は文字通り、ゴルフ場で使われるカートのモデルチェンジやコストダウンなどが主な仕事でしたが、数年前に新しいプロジェクトがスタートしました。
国土交通省が、低炭素社会の交通手段として「グリーンスローモビリティ」を提唱。
その主旨に沿って免許返納者や過疎地の足として活用するための、低速モビリティの開発を任されたのです。
既存の高齢者向けの一人乗り電動カートは、段差や凸凹道での走行性・安定性など課題が多く、それを解決するためのフレームを一から考えるという、私のエンジニア人生の集大成のようなミッションです。
まさに「なんとかして」という要望ですから、「こんな楽しい仕事を、私がやっていいの?」と聞いたくらいです(笑)。
お客さま先やメイテックの若手エンジニアの育成にも気を配っています。30代後半から40代の、本来なら仕事の中心になるエンジニアが、どの会社でも不足しています。
若い人は面白いアイデアをたくさん持っているのに、それを実現する設計力が足りなかったりもします。そこをなんとかサポートできればと思っています。
振り返ると「自分は運が良かった」と、つくづく思います。
希望していた飛行機ではなくても、好きなものを思う存分に設計できました。周囲の人にも恵まれ、全ての経験が後の仕事につながり、成長も実感できました。
これからも、必要とされる限り設計エンジニアとして力を尽くしていきたいと思います。
(インタビュー:2019年12月15日)