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Interview

巨大な輸送機器のために
使いやすくて軽くて デザイン性ある治具を
生み出していく「想像力」。

機械系エンジニア

井谷 寿郎

エンジニア略歴

  • 1986年新卒入社
  • 1986年〜業務用CRTモニターの筐体設計
  • 1990年〜パソコンCRTモニターの筐体設計
  • 1993年〜フォークリフトトラックの設計
  • 2006年〜モーターグレーダーの開発
  • 2016年〜特殊車両の開発
    特殊車両組立治具の設計

デザイン少年、設計の仕事を
したくてメイテックに入社。

派遣エンジニアを続けていると、制約の多さにエンジニアとしての満足感を得られないこともある。しかし、前向きな努力を続けていけば、いつか自分の方向性と与えられる仕事が重なり合う日も訪れる。そんな雄大なストーリーを語ってくれるのが今回登場する井谷さんだ。

札幌市で生まれ、自然にも恵まれた場所に育つ。子どものときには、絵を描くのが好きだった。

「動物園の絵を描いてコンクールに入選したこともあります。絵を描く、形をつくるというような作業が好きでした」

高校卒業後に上京、工学部建築科に入学する。デザインに関心があったので「形をつくる」設計をしたかったのが大きな理由。だが、就職すると工事現場の人と酒を飲んで調整するような泥臭い仕事が多いと聞き「自分には向いていない」と機械科に転科した。

「卒業研究は金属に関する材料力学。はっきり言って勉強はしませんでした。バイクにはまったり、ジャズサークルでドラムを叩いたり。プロのドラマーを志したこともあります。圧倒的にうまい後輩に差を見せつけられて諦めましたが……」

卒業は、バブルに向けて日本経済がぐんぐん好転している時期。だが採用試験を受けたのはメイテックだけだった。

「メイテックならずっと設計の仕事ができると聞き、いい会社だなあと思ったので応募しました」

ベテランによってたかって
失敗をさせてもらった新人時代。

最初の配属先は大手家電メーカーで、ブラウン管方式のテレビ筐体設計の仕事。

「関西にあった課が移設されてできた部署で、お客さま先の社員は全員が関西からそのまま異動してきた人たち。関西弁が乱れ飛ぶオフィスでエンジニアとしての第一歩を踏み出しました」

樹脂と板金による筐体をつくるためには、さまざまな種類のプラスチックの知識が必要になる。また、金型の知識も必要。大学を出たばかりで、それも真面目に勉強してこなかった井谷さんが最初から活躍できるはずがない分野でもあった。

「ありがたいことに、その会社では若い人を見つけると、よってたかって育てようとする風土がありました。ときにはあえて間違いを指摘せず、失敗から教訓を得させるというほどの心意気まであったくらいです」

井谷さんが描いた図面に、ベテランが見たら明らかな問題があったときにも、NGを出されることなく試作品づくりの段階まで進めてしまったというエピソードがある。

「そのときは落ち込みましたが、あれほど役に立った経験はありません。失敗を通して、こんなことが起こるかもしれないという想像力が身に付きます。試作品のための何万円かを無駄にしてまで、社員でもない私を育ててくれたと考えると頭が下がります」

家電メーカーでの6年間は、技術においても社会人としても、基礎を形づくってくれた貴重な期間だった。

単調な仕事にも成長の糧を見つけ、
新しい業務を獲得した。

そして2社目へ。驚くべきことに当時から27年半経過した今も、井谷さんは同じ会社の特殊車両部門で仕事を続けている。

フォークリフトの設計を13年。鋼材の設計についてのスキルを得た。ガソリンエンジン、トランスミッションなど車両設計全般の設計ノウハウも獲得した。

「正直言うと、この期間は単に指示されたとおりの設計を行っていただけで満足度は高くありませんでした。ただ、ここで三次元CADを学ぶことができ、その後に役立つことになります」

当時最先端だったPro/Eの操作をいち早く習得し、マネージャー活動を通じて社内エンジニアの技術力向上にも貢献した。やがて訪れるリーマンショックにも、この研修の力を借りて配属の機会を得た厚木ECのエンジニアは少なくない。

「私も三次元CADの知識を武器に、13年続いた業務からのローテーションを目論んでいました。でも、その話を聞いた隣の部屋のグループのリーダーから誘われて、結局同じ会社で継続することになりました」

次の部署で開発することになったのはモーターグレーダーという大型の自走建設機械。1万㏄を超える巨大な出力のエンジンを持っていて、それに伴いスケールの大きなものとなる。

「新しい排ガス規制の施行に合わせて、機種を更新する仕事でした。例えば、排ガスを減少させるためにマフラーのサイズや形状をどうするか、エンジン出力に合わせると同様に巨大になってしまうラジエーターをコンパクトにするための工夫などを行っていきました」

前の業務とは違い、今度は開発全体に関わり、自分のアイデアで進めることができたので満足度は大きかった。結局、海外の企業に部門ごと買い取られたことで、また別の業務に就くことになったが、最後には移行のためにトルコに出張する機会も得た。

例えば数十トンの「おもり」にも
「デザイン」と「使いやすさ」を追究する。

そして2社目から配属先が変わらないまま年目を迎える今、井谷さんはかつてないほどの充実感を得ているという。

「極めて特殊な用途に使われる超大型輸送機器を製造するための治具設計の仕事です。生産技術になりますが、アイデアを注ぎ込める余地は過去最大です」

例えば、特殊な器具をユーザー側で設置すると決められている輸送機器で、バランスなどを確認するために重量とXYZ軸それぞれの重心を指定されたダミーウェイトという「おもり」を設計する。重さ数十トン、重心などに精密な設定が必要とされるので取引価格なんと1200万円という高額になるという。

このほかにも巨大な輸送機器を持ち上げる吊り具や回転台、油圧シリンダーで5トン車を持ち上げるリフト台などを手掛け、設計図を見て、製造のために必要と思われる治具を次々と設計していく。

「重くて使いづらく、必要以上に高価な治具が現場で使われています。私は最適な安全率で板厚(構造)を決めて、軽くて使いやすい、作業者に喜んでもらえる治具にしようと設計しています。どんな仕事でも『いいね』をもらえるのはうれしいですから」

巨大な治具をつくることで、子どものときから関心のあった、デザイン性あるアウトプットができるのも満足感の一つになっているという。設計物の及ぼす結果をイメージする想像力が、エンジニアの成長につながると考える。

「今の仕事で怖いのは、誰も検図してくれないこと。ミスがそのまま通ってしまう。過去の失敗の数々で培った想像力の限りを尽くして、起こるかもしれないトラブルを回避しています」

2年後には定年退職を迎える年齢だが、現在の仕事を続けるのもよし。配属先を変わるなら、自分で最初から最後まで関われる設計業務がいいかもしれない、と話す。

「今勉強している英語が生かせる分野の仕事もしたい」と、なお前向きに自分の可能性を追求し続けるエンジニアだ。

※当社社内報「SYORYU」:2021年冬発刊号に掲載した記事です

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